INTERVIEWインタビュー

INTERVIEW

3

 欧州料理VIVIオーナー 杉本浩一氏 インタビュー

インタビュー

空間、料理、アート、音響、照明のすべてにこだわり、唯一無二の空間を提供するVIVI。

今回は、そんなVIVIのオーナーである杉本浩一氏にインタビュー。新しい価値を追求し続ける杉本氏に、ご自身の経歴やVIVIへの想いをお伺いしました。

profile

VIVIオーナー 杉本浩一
兵庫県出身。
名古屋の大学を卒業後、ベンチャー企業にて勤務。のちに飲食業界へ飛び込み、店長から広報・マネージャーなど、現場と運営の両方を経験。独立後は名駅エリアで「シーフード&イタリアン ViVi」を開店し、約8年間営業。2020年に栄へと移転し、食とアートの融合を目指した唯一無二の空間「欧州料理VIVI」へとリニューアルオープン。
オーナーとして自ら現場に在中することにこだわり、常にお客様に提供できる新しい価値を模索している。

――まずは、ご自身の出身地や経歴からお聞かせください

僕は兵庫県の山奥の田舎 朝来市で生まれ育ちました。「日本のマチュピチュ」とも称される竹田城がある土地なのですが、簡単に言えば山と空しかない場所ですね(笑)。川で魚を獲ったり山に登って基地を作ったりと、幼少期は典型的な野生児でしたね。そんな自然豊かな地元で、高校生まで過ごしました。

――名古屋に拠点を移したきっかけについて教えてください

名古屋に引っ越したのは、大学への進学がきっかけです。建設関係の仕事をしていた父親の影響もあって、大学では建築土木を専攻していました。当時はサークルブームの最中だったので、イベントサークルでもかなり活発に活動していましたね。

そんななか、大学3年生のときに携帯を販売する会社を仲間グループで起業したんです。当時はちょうど携帯が普及するタイミングだったことと、大人数が集まるようなイベントをしていたから人脈にも恵まれたこともあり、結構うまく回っていたと思います。

その会社を基盤として、親友が大学卒業と同時にベンチャー企業を立ち上げたので、右腕として10年近く働きました。最初は数人で始めた会社でしたが、今となっては東証一部に上場するほどの大きな会社に成長しているので、僕としても誇らしい気持ちです。

――飲食業界に入ったのにはどんな理由があったのでしょう

ちょうど30歳のとき、会社も急成長し従業員も増えていたこともあって、自分も次の道に進む決断をしました。

そして自分が本当にやりたかったことに立ち返ろうと思い、夢見た飲食業界へ。

また、学生時代趣味でやっていたシルバーデザインや彫金、アンティーク時計や小物収集を通し、いつか自分のお店を出して好きな物に囲まれてお店を出す構想を練っていました。

彫金は、最初自分用に作っていたんですが、オーダーを受けるようになって販売を始めてみたら、瞬く間に話題になり1年先まで予約が埋まるくらい注文が増えたんです。それぐらいから「いつか自分が海外で買い付けてきた輸入品を集めたアンティークショップを持って、そこで自分のデザインした彫金も置きたいな」密かに考えていました。

――そうして飛び込んだ飲食業界。独立までの道のりについて教えてください

本当は1年くらい働いてノウハウだけ学び独立しようと思っていたのですが、実際に自分のお店を持つまでに10年かかりました。正直なところ、1年働いたくらいでは時間が全く足りませんでしたね。

独立できるくらいまでの自信を身に付けたくて、とにかく任された仕事を実直にこなしていました。

そのうちに、自分が店長を務めていた名駅のお店が雑誌やテレビ等でも良く紹介される様になったり、売上がみるみる伸びたことでエリアマネージャーや本部広報などの仕事も任されるようになったりと、成果が出始めたんです。

会社自体も勢いがあったので、出店ラッシュで色んなお店を立ち上げのお手伝いもさせていただきました。

アメリカを初め、中国、フィリピンへの海外視察も頻繁に連れて行ってもらったりするうちに、飲食業界の事がだいぶ分かるようになったのですが、そんな折にリーマンショックがあったり、落ち着いたと思ったら東日本大震災があったり……振り返ってみると激動の時代でしたね。

特に東日本大震災のときは日本中が自粛モードで「外でお酒を飲んで楽しむことなんて不謹慎だ」みたいな風潮があって、業界自体も大打撃を受けていました。

その後、復興が進んで日本が元気になってくると「バルブーム」が到来したんです。

日本人って、びっくりするくらい個室が好きなんですよね。何かと言うとすぐに個室希望だったんですが、震災後はみんなの顔を見れて安心して飲めたり、みんなでワイワイと楽しい時間をシェアするようなスタイルが流行り始めたんです。

僕も元々、海外視察で訪れたラスベガスやロサンゼルスのお店のような、開放感があって大人な雰囲気があるお店に憧れていて。

そういう社会の流れと、自分が持っていたイメージが一致したこともあって、完全にオープンなバルスタイルのお店「シーフードイタリアン ViVi」をオープンしました。

――現在のVIVIの前身となる名駅ViViはどのようにして作られたのでしょう。

まず立地についてですが、名駅しか考えていませんでした。

最初は無難に、少し郊外の一等地に……という考えもありますが、兵庫から上京している僕としては、地元兵庫でやらないのならいつかは名古屋の中心名駅で旗を挙げたいと考えていました。

とはいえ飲食店激戦区の名駅エリアでお店を出すのは簡単なことではなく、まず物件の空きが全くありませんでした。ただ、自分が管理していたお店が名駅で成功を収めていたこともあり、名駅にこだわって2年ほど色々物件を探し続けていたんです。

最終的には前職の飲食店の社長に交渉して、その会社が運営していた名駅のお店の場所を譲ってもらい、居抜きでいちからデザインしてお店を作らせていただきました。

名駅ViViの店舗はウッディ、アンティークなど、自分が元々好きだったテイストをふんだんに取り入れました。メニューや看板はデザイナー希望のアルバイトを何人か雇ってたので、その子達に手描きしてもらったりと、当時からオンリーワンの空間づくりを目指していましたね。

そうこうしてる内に、激戦区名駅エリアで丸8年営業することができました。

――そして2020年に名駅ViViから栄3丁目「欧州料理VIVI」に生まれ変わりました。その経緯を教えてください

名駅ViViの経営も波に乗ってきた頃、イタリアやスペインに旅行に行っていたんですよね。それでやっぱりテラス席とオープンキッチンカウンターを作ろうかなとか、お店で使うアンティーク家具や雑貨を物販できるような仕組みも面白いな、なんて色んな構想が生まれてきていて。お金をかけて改装するか、いっそのこと移転していちから作るか……なんて考えていた矢先にコロナ禍になったんです。

今までの常識が色々と覆されるなかで一番衝撃だったのが、今まで高い家賃を払って保険だと思っていた名駅という立地が「密を避けよう」となった途端に一番NGな場所になっちゃったんですよね。それもあって本格的に移転を考えるようになり、物件探しを始めました。

でもコロナ禍のすべてがマイナスに働いたかというとそうでもなくて。もしコロナウイルスの流行がなかったら、拠点の香港から日本に帰国していたVIVIコンセプターのタカとは出会えてなかったかもしれません。

彼は言葉にするのが難しいことを言語化するのがとても得意な人で、話しているとすごく面白いんですよね。それでほぼ毎日のように会って飲んでいて、そのなかで海外の食文化だったり、アートに対する概念だったり、彼が見てきたものを共有してもらったんです。

そんなタイミングで今の物件に出会い、タカとタッグを組んで色んなアーティストを紹介してもらい、ディレクターとなる南志保さんを紹介してもらい……と、新生VIVIに向けて動き始めました。

――VIVIの大きな特徴である空間へのこだわりはどのように生まれたのでしょう

タカと話していて印象に残っているのが「日本にはおしゃれなお店は多いけれど、本物の店が少ない」という言葉だったんです。じゃあ本物の店って何なの?と聞くと「本物=自然」という前提で、“ 人間が作った自然であるアートがあふれるお店” のことだと話してくれたんですよね。

僕も元々彫金でアクセサリーを作っていたこともあって「一点もの」というものに非常に価値を感じるんです。だからどこかの真似をしたデザインのお店ではなくて、アーティストの独創性で作られたどこにもないお店にしたいという考えに行きついたという感じです。

だからVIVIは空間そのものを「デザイナー」ではなく「アーティスト」に作ってもらうことにしました。普通はデザイナーとオーナーがタッグを組んで作るのですが、VIVIの場合はお店の方向性をコンセプターと話し合って決めていて。コンセプター、アートディレクター、アーティスト3名、デザイナーというピラミッドで創り上げました。

VIVIは【都会の森】をコンセプトとして創られたお店です。

手前のフロアーはアートが溢れる「自然のフロアー」、奥のテラスは自然の植物を植えて「自然の作る自然のフロアー」と、実は2つの空間に分かれているんです。

「人間の作る自然」と「自然が作る自然」この2つを合わせることで【都会の森】を表現しました。

さらにVIVIの各所には「デンシティ(密度)」「レイヤード(重なり)」「リフレクション(反射)」という3つのキーワードが散りばめられています。

まずデンシティは、床のタイルを石のタイルにして入り口から一番奥のフロアーまでぎっしり引き詰めることで表現。

リフレクションは、鉄の素材のカウンターやテラスのステンレスのポットなど、反射するような素材を使用することで木漏れ日を再現しています。

そしてレイヤードは、ラインが重なったときに森の木を思わせるような、スリムないでたちの机や椅子に統一しました。椅子はすべて本物のアンティークのもので、あえてバラバラで揃えることで自然を表現しています。

また、重なって見えるラインの美しさは、入り口の天井にある南志保さんのオブジェでも発見できると思います。

――そのようにして完成したこだわりのお店で、お客さんにどんなことを提供したいですか

お客さんの飲食店の選び方って、コロナ前コロナ後ですごく変わったと感じています。

例えば、コロナ流行の真っ最中でも選ばれている店はあったんです。それはどんなお店かと言うと、星付きのレストランだったり楽しみをもたらしてくれるようなお店。要するに「人間の三大欲求のひとつである“食”の喜びを体感できる場所なら、命を掛けてでも行きたい」という気持ちが芽生えてきたんじゃないかなと思うんです。

お料理が美味しいことはもう当たり前で、ただ食べる・飲むだけじゃなくワクワクしたりドキドキしたりする要素がないと、選んでもらうことは難しくなってきたのかなと。

名駅ViViはコロナ前はお客さんに来てもらえていましたが、コロナ禍では選ばれなかったんですよね。結果として、数ある飲食店のひとつでしかなかったんだなと痛感したので、そこからひとつ飛び出た尖った存在になりたいと思うようになりました。

店舗そのものはデザイナーではなくアーティストと作ることで、空間自体が作品と言う場を用意することができました。

サービスの内容とお料理は、正直まだコロナが緩やかに続いている状態のなか探り探りやっているのが現状なので、これからもっと色々なアイディアを展開していきたいです。

今後は2Fギャラリーで毎月個展を開催することによって常に新しい変化がある空間があったり、アーティストの作品と料理のコラボだったり、もっと「食とアートの融合」を体感できるお店を作っていこうと思っています。

VIVIではシェフやスタッフもアーティストのひとりだと捉えているので、現場から出たアイディアや試してみたいことを採用していきたいですね。

――最後に、ご来店されるお客さんへメッセージをお願いします

まだ日本ではアートが飾ってあるお店と聞くと、なんとなく敷居が高いイメージがあると思います。

でも、VIVIは「食事をしにきたら偶然そこにアートがあったから、とてもその時間を楽しむことができた」というくらい、アートをもっと身近で気軽な存在に感じられるお店を目指しているんです。

いつもよりオシャレをして、ワクワクするような食事の時間を過ごしに来ていただけたら嬉しいですね。

――ありがとうございました。

取材・テキスト/ライターチームマムハイブ(https://mamhive.com/)ウシマルトモミ

RELATED

関連記事

PAGE TOP